女の子同士の喧嘩には科学的特徴がある?

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/06/post_13.html
まぁ、このテキスト自体は眉唾なんですが、コメント欄の

同じ趣味・趣向の人間としかコミュニケーションがとれない、
とれないので自分が分からない人間を排除して、そのジレンマをなくす。
たとえば「もっと空気読めよ」っていうのはそういう場合にもよく使われる。自分たち流のコミュニケーションでしかコミュニケートできないから。

ばちになった子の考えや思いは無視され、やがてその鬱積した
感情を吐露するのが自分の世界のみになり、自分の作った世界でその感情が肥大化した場合が、サカキバラくんやNEVADAちゃんなんだろうな。

っていう、もはや言い古されたような言い回しが自分にもあてはまるような日が来るとはなー(この文章だと排除する側=コミュニケ不全となってるとこがちと違うけど)と、ちょっと衝撃。最近、というかここ2、3年の僕の傾向はこんな感じで、ここんとこはそれが顕在化している気がするぞ。とはいえ、関心が無い話題を、かつてはどのようにこなしていたか、体が忘れちまってるようでどうにもならん。単なる実感としてだけど、こういう傾向って社会的にも増してるんだろうな。電話線で繋がってるコミュニティって、検索やらブログやらとにかくやたらと「キーワード」で括ってる世界なんだもん。


高校までのような「とにかく一緒にしておけばそこそこ仲良くなる」っていう空間が欲しいと思う今日この頃。あの頃は少しの居づらさくらいなら気合い(?)で克服できたのに。20歳超えてからの、コミュニケーションの困難さはどっから来ているんだろう。やっぱ楽な方に流れ過ぎなのかな。


追記:ひょっとしたら日常に「女の子」という要素が加わったせいかも。(男子校育ちなもので)もちろん、男子校育ちは他にも結構いるわけで、だとすれば、僕の「モテたがり」もしくは「ええかっこしい」こそが真の問題ってことになるわけだ。あちゃー、堂々巡りか。自意識過剰なもんで。安達哲の「キラキラ」大好きッ子なもんで。自分が好きすぎるもんで。っていうのは自覚済みなんですよ。


追記2:女の子がいると陰性、男だけだと陽性の空気読めない人になっている気がします。これはどういうことだ?


「俺なんか好かれるワケがない」とか言っちゃいそう。とにかく、がんばれよ俺。