香田首切り

すべてを覚悟した上で、ただ見たいという好奇心のみではないことを自問して問題の首切り動画を見た。首切りというのは野蛮の代名詞的行為であり、間違いなく行為者はそのことに意識的だ。そして、それが西洋的な理性をあざ笑うかのようにインターネットという現代的ツールで配信される。こないだのビンラディンの声明についても同様の理知的西洋というパースペクティブを内側に入り込み瓦解させるような戦略を感じられた。野蛮、残酷を自覚的に行うものに人権という概念で抗することは困難ということですな。抵抗としての野蛮か。


考えるべきこと:今回の事件を未然に防ぐことは不可能であったか否か。可能であったとすればどの段階か。


あいかわらず、個人のレベルで国際問題にどのように関与するかが見えてこない。


今回、むしろ、問題に感じるのはマスメディアの対応。日本政府を批判したいのか、香田証生を批判したいのか、アメリカを批判したいのか、テロリズムを批判したいのか、民主党を批判したいのか、国民を批判したいのか。ネットで手に入るような情報を半端に抑制して、感情的なニュースばかり流す昨今のメディアの姿勢には非常に違和感を感じる。まぁ、別に首切りを流せとは言わないけど、存在を無視するのはフェアじゃない。


香田自身に関してはやはりまだ、言うことが見つからん。生きる証か。


マックス・ヴェーバー責任倫理に関する本ってなんだっけ。今回は小泉は間違いなく人一人見殺しにしたのであって、今後あいつのニタニタした顔を見たら、きっと俺はそのことを思い出すんだろうな。


結局、何が言いたいかわからんのは俺自身が何も分かってないからだ。