こころ

chaff2005-08-02

どーでもいいんだけど、今、TBSの「なりあがり」見てて思った。矢沢心の顔がしばらく見ないうちに明らかに変わってて、ははぁ作ったなと。どこがどう変わったのかよくわかんないんだけど、まぁ、かわいくなったからいいんじゃないでしょうか。3、4年前くらいにテレ東でYAZAWA魂みたいな番組やってたよね、この人。それがいまや「なりあがり」ってことで、非常に世の中上手くできてますなぁ。どうでもいいついでに、矢沢心は金属アレルギーらしい。おお、見事にどうでもいい。


どうでもいいことを考える人ってのは非常に多いわけで、高校時代に理系のヤツから初めてシュレーディンガーの猫の話を聞いたときは、心底どうでもいいと思ったなぁ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シュレーディンガーの猫
ワラッテイイトモ、の作者がこないだ作ったのも、これ絡みの作品なんだっけ?まぁ、どうでもいいや。


そう、なんでこんなん書いたかっていうと、ここんとこ読んでる「科学哲学の冒険」って本が、結構どうでもいいことをツラツラと書いてるからであります。昔はテツガクって結構好きだったんだけど、今じゃ、なんかどうでもいいわ。科学の未来の方が気になるよ。ブルーバックスでも端から読もうかって程度の気になり方だけど。っていうか、科学哲学って、もっと科学っていうのをどう哲学的に受け止めるかっていう分野だと思ってたんだけど、ここまで読んだ感じだとそういうんじゃないみたい。演繹と帰納の話とか懐疑主義とか経験主義とか反証主義とかそういう話ばっかで、それは別に「科学」哲学じゃなくても良くない?ってことで、結構ダラけてきた。あ、でも今読んでるところは科学的実在論とその批判とかいう、超ミクロの世界をどう受け止めるかって話になってきてるんで、もうちょっと頑張ります。
俺は死なない限り、どんな科学の方向でも受け入れたい派。いつも言ってるように脳みそにハードディスク積みたいし、ザレム人みたくなりたいし、クローンから体のパーツ取りもしたいし、電脳化もアリアリ。倫理とか進歩になんで関係あるのかわかんない。でも、こういう「倫理を人に押し付けるな」っていうのもある種の倫理の押しつけにならざるを得ないから、この辺の問題は難しい。しかし、青いバラなら喜ぶし、アルビノの動物が人気だったりするのに、たかが羊やら牛やらヒトやらを複製しただけでギャーギャー騒ぐとは不可解な。少しはノヴァ教授を見習って欲しい。あと、どうやらこういう問題は科学哲学ではなく、科学社会学の分野らしい。


ユリイカの雑誌特集号を、半ば惰性で買ったんだけど、多分面白くないんだろうな。なんかメンツ的にあんまり目新しい感じがしない。そんなことよりフレッシュなサマーを満喫ですよ。