よいからあけまで

夏の驚きは突然やってくるもので、こういうことがあるから生きてるって楽しいんだろう。けれど、それでいて、やはり少し虚しいのだ。細い細い繋がりは指先の記憶なんていうどうしようもない儚さに乗って、夢現の僕のもとに届くわけなんだけど、それは決して今と今の繋がりなどではなく、今の中に過去を見合って、冷めた熱のその後を手探りでまさぐる。結局はなにも産まないけれど、産んだものと膿んだものと倦んだものの確認をしあうような、こんなにも贅沢で無駄な時間だ。手繰っても手繰っても、抜け殻しか出てこない隙間だ。こぼれ続ける水滴を幾度となく拭うような作業にすら、もはや、これが最後というきっかけじゃないと行き着けないという皮肉だ。それで届いた場所にあったものとて、思い出の結晶でしかない。もはや、何一つ動かない世界で、積み上げた砂城の崩れるのをただ止めようもなく、そして、止める気すらなく、在りし日を言葉と言葉のみで甦らせようとするこの暴挙は、惨状と不感症と感傷しか残さない。いかに過去形で語ろうが、そこですら、今や何一つ共有してはいない。これが終わったということなんだ。互いの語る未来には重なるところなど無い。そして、それを当然と思いながら、空気を、感触を、気分を、温度を、匂いを、薄れゆくそれらを君が惜しむなら、僕は壊れたテープレコーダーのようにピッチの狂った音楽を奏でよう。そうして、あなたが虚しさを感じられるまで。いつかはこの僕が慰めた虚無を、あなたが独りで耐えられるまで。多分と絶対の間で揺れる玩具のような振る舞いで。そうして、真実の5の言葉を聞くのに、また僕は80の無駄口と10の嘘と5の真実を語る。本当の君を知っていると君自身が言うのなら、知っていると答えるくらいの嘘ならまだ、赦されると、思う、のだ。ばいばい。