はだざむい

たとえば、たまに行く街のお気に入りの喫茶店に、いつもの調子で、まったくいつもの調子で、向かったとして、その店先に閉店を告げる真っ白い張り紙があったとき、君は、そして、僕は、いったいどんな顔をしているのだろうか。


たとえば、休みの日、窓からは柔らかい日が差していて、めずらしく僕の方が早く起きたものだから、てんでバラバラのマグカップに、コーヒーをなみなみと注いで、君の枕元にそっと置いたとき、立ち上る湯気の隙間から、君は、どんな表情を見せてくれるのだろうか。


たとえば、電車もなくなった夜中に、車がびゅんびゅん行き交う大通り沿いを、家までてくてくと歩いているとして、あと十五分くらいで家に着くころに、君から突然かかってきた電話に、僕は、果たしてどんな声をして、応えるのだろうか。


たぶん、大事なのは、そういうこと。ひょっとしたら、全然、見当違いかも知れないけど。


本を読んで、コーヒーを飲んで、友達と相変わらずのバカ話。家に帰って、眠そうな声を電話越しに聞く。そうして、一日が暮れるなら、あぁ、きっと、これは満足すべき日なんだ。濃くもなく、すこし薄すぎるくらいの、アメリカンコーヒーのような日々が、カレンダーの、予定と予定の間を埋めるような、忘れていく日常が、どうしたって必要なんだと、いまさら気が付いた。


知ってるか?しぼんでいく風船は、その最後の瞬間、驚くほど、冷たくなるんだ。