おれよ

なぜだか知らんが、面接の夢を見た。若手二人とだったので、あれは多分一次面接だ。「君はちょっと強引なところがあるねえ」って言われて、「ああ、強引なところもある、かも知れませんねー」みたいな受け答えで終わって、どことなくダメな感じが漂ってた。すげーリアルだな。それはそうと、また、夢の中でモテた。俺は高校3年のときに今の家に引っ越してきたんだけど、夢の中でこの今の家が出てきたことがない。間取りなんかは少し狂いがあるものの、夢に出てくる自分の家はほとんど、高3まで住んでいた前の家のようだ。その昔の家で、女の子と親父と俺でこたつに入っていた。親父がやたらと気を回していた。見たことない料理が出てきた。親父が寝た。夢の中でもやわらかさってのは感じるんだな。ああ、なにこんな夢みてんだ。俺よ。


携帯がぶっ壊れた。折りたたみ携帯はヒンジが脆い。俺みたいに携帯をジッポばりにシャキンと振り開けるような輩にとっては、特に。だもんで、次はスライド式携帯を買おうと思う。ああいうのはガジェット的にも好きだ。しかし、壊れる直前の携帯は思いもよらぬ画面を表示してくれる。前に2030年30月19日っていう表示を見たことがある。なんだか、世界がグラリと揺れたような気さえした。今回のはファミコンのカセットを中途半端に刺したときのような画面が出る、なんだか懐かしい壊れ方だった。物が壊れるということに、僕は怒る気になれない。ただただ、悲しみ、別れを惜しむだけだ。そうして、次のが手に入れば忘れてしまう。悲しみなど忘れてしまう。その携帯と過ごした楽しかった記憶だけ残る。時に思い出したりもする。ああ、これはまるで、あれだ。わかるでしょう。あれだよ。


このところ、ルノアールに入り浸りだ。しかも、毎回違う店。というのも、今週は卒論の小発表があり、それにむけてレジュメを作成せねばならなかった。パソコンというのは罪なもので、普段の環境ではどうしても気が散ってしまう。そこで、電源を自由に使わせてくれる上に、どれだけ居ても文句を言われないルノアールが重宝するというわけだ。とはいえ、せっかく安いとは言えないコーヒーを飲むのだから、毎度同じ場所ではつまらない。そんなわけで、使うルノアールを毎回替えた。わかってきたのは、ルノアールはどれも同じようで、やっぱり少しずつ違うということ。そして、ルノアールでバイトしている人たちはとても仲が良さそうに見えるということだ。これまでの経験から、繁華街のとオフィス街のをくらべたら、僕は繁華街の近くにあるルノアールの方が好きらしい。繁華街の方が湿っぽい気がする。なかでも、一番しっくりきた店は日暮里東口店だった。椅子の配置やら、街自体も含めた湿っぽさやら、なんだかとてもどうしようもない雰囲気が沁みた。


こないだ、国立天文台の特別公開に行った。土曜日のことだ。普段は研究一筋のような純粋理系かつロマンチストな方々が、年に一度のお祭りという感じで、陽気にやってる姿はとても幸せなものだった。これは理系の人に特に言えることだと思うのだが、何かを熱心に研究している人は、その研究しているものについて他人に知ってもらうことが楽しくて仕方ないようだ。皆、いたずらの成果を報告するかのような目でこちらを伺い、弾むような声でこちらに語りかけてくる。正直に言って、僕は、天文台の施設よりも、そうした人たちとのふれ合いばかりが印象に残っている。あの場は、いわゆる「フェス」の空気だった。どんなに忙しいか知らないが、来年もまた来たいものだ。来年も再来年も。


とても楽しいことがあった後、しばらくはなんだか調子が出ない。体が無意識に楽しむことを拒絶しているのではないかと思えるくらいだ。いや、そんなことはないか。ただ、そういう時期だったり、天気だったり、そういうようなものか。部屋では高木正勝のアコースティックな曲だけ集めた音楽が鳴っていて、そういうようなものだ。


一瞬一瞬という時間の過ぎる様が、もし、目に見えたとしたら、オイルのように体にまとわりつくもので、それだから生きている時間が長くなると、体がどんどんと重くなっていくのではないだろうか、などというとても嫌な想像をしてしまった。そうして、僕らは和紙のような薄くて丈夫な紙の上にいて、そのオイルのようなものが体から滴り落ちていく。紙の上に溜まって、溜まって、ついには重さに耐え切れなくなって、そうして。まったく、嫌な想像をしてしまったものだ。このオイルと、この嫌な想像ごと拭い去ってくれるのは、やっぱり、あの人だったりするのだろうか。いやはや、そんなのは過剰な期待というものだ。過剰な期待はろくなものを生まない。するのもされるのも。だからといって、何もしないのに諦めるって法はないだろうが。夢なんか見るもんじゃない。まったくアムロちゃんの言うとおりだ。叶えるものかはわからない。叶えられるものかはわからない。あぁ、なんだか頭が働かない。


期待と希望は違う。そんなことわかってる。だけど、今はなんだか、その二つはとてもよく似ていて、誰も見分けがつかないんじゃないかという気になっている。大切なものと大切な人と大切なことを忘れたくないってだけなんだ。正しいやり方ってのがわからない。それが、あるのかどうかもわからないんだ。顔を合わせるといつも、くだらないことばかりしゃべってしまう。本当に言いたいことなんてたった3文字なのに。色んなことを考えすぎてるだけかも知れない。いつからこうなってしまったのかわからない。昔はシンプルだったとか言うつもりは無い。たぶん、今だって問題は充分にシンプルなんだ。ただ、なにかがまとわりついてる。頭が働かないんだ。君よ、どうかこのオイルを拭ってはくれないだろうか。たぶん、笑顔とか寝顔とかそんななにかで。