足踏み男の話

書かないでおこうと思ったけど、やっぱり書いておこう。実はこないだ変なことを経験した。つい最近、街を歩いていた時の話だ。ちょっとした分かれ道の手前でなにやら困った顔で足踏みばかりしている男が一人いた。あんまりにもずっとそこで行きつ戻りつばかりしているものだから、どうにも気になってしまい思わず声をかけた。
「いったい、あなたはどうしてそんなところでずっと足踏みばかりしているのですか」
と僕が問いかけると、男は困った顔のまま答えた
「いや、私は良い景色というものを見たいだけなんですが、この先に進むと良い景色は見られるものでしょうか」
僕はと言えば、たしかにその道はまだ歩いたことはなかったものの、同じような道なら何度となく歩いたことがあったから
「ああ、それはきっと良い景色が見られると思いますよ」
と答えたのだが、それでも男は満足いかぬ様子だった。そこで、続けて言ってみた。
「だいたいそんなものはここで迷ってないで行ってみればいいではないですか」
すると、男は
「いやいや、それはそうだが実は私は道を戻ることが出来ないのです」
と妙なことを言う。
よくよく話しを聞いてみると、それは驚くようなものだった。どうやら男は最初、何も無い野原に居たらしい。そうして、気がつくと道があり、その道はいくつにも分かれていた。いくつにも分かれた道を選び、進むとまた分かれ道、これまで幾度となくそれを繰り返しここまで来たものの、どうしても道を戻ることだけは出来なかったし、これからも出来ないだろうというのだ。
「そんなわけで私は色々な人にこの先がどうなっているかと聞きつつここまで来たのです」
僕にはどうしてもこの男が冗談を言っているように思えず、世の中にはそんなこともあるのだろうと、不思議とすんなり信じられた。
男は言う。
「しかし、どの道を選んだところで変わらないのかも知れません。真に素晴らしい景色は、すでに通り過ぎてしまった分かれ道の先にあるのかも知れないのです。そう考えると、この先の道でいかに良い景色を見ようとも、それは私の間違えた選択の中での最良かも知れませんが、違う道を行く人から見れば、凡百なものなのかも知れないのですから」
それを聞いて僕は少し悩み、眉根を寄せて考えた。
「もし、そうだったとしてもそのように初めから考えていたのでは、どんな素晴らしい景色も色褪せてしまうではないですか」
と男に告げようと思ったのだが、男はどれかの道を選んですでに行ってしまった後だった。