ははのせ

chaff2005-11-17

いやー、俺、ホント、今日、普通に「アップルのiMac G5欲しい!」なぁ。いや、何を急に!?って思った人はこれで検索してみると良いと思う。多分、君も書いちゃうから。あーほしいほしい。


今日はなかなかに非日常な日でしたよ。チャリに乗った二人組が僕の継母校のある街に襲来したので、ドギマギと僕の知る限界の学生の行く店を2つもはしごした。あれが本当に限界。で、パスタ屋で「おふくろさん」の話をして抱え切れないほどの切なさに包まれて、一方、喫茶店ではタギングを考えながら100回くらい「ボムッ!ボムッ!!」って言ってた。なかなか普段は無いような会話で、おかげで予想したよりはピクピクしなかったけどね。あぁ、パスタ屋での切ない会話は録音したんだった。でも、これは切なすぎて聞けないよ。人生というかライフについて相当考えさせられました、今日の前半部は。


で、ちょっとその話ってのの要旨を文字にしたら、あまりにも陳腐でくだらなくてありふれてて、それでまたなんだか寂しい気持ちになって途中でやめた。こういうことを一人で考えるのはあまりにもあんまりで、だから、僕たちは今日、笑いながら話してたんだけど、彼女らは今も一人なんだろうか。彼女らはこういう話が出来る人っているのだろうかって思ったら、もうなんていうか涙が出てきていいくらい感情が動いてるんだけど、泣けない。それはたぶん、結局のところ僕たちの想像でしかなくて、彼女らは彼女らの人生で、それを僕たちが哀れんで泣くなんてのは、それこそ最低になってしまうからだ。で、僕は未来を思い描いたりもするんだけど、そこでは誰もが笑っていて欲しいと思うんだ。これが切実で本当の気持ちなんだ。
 
こういうのを世代の話にして分析的に語るってのは、多分、実に簡単に出来てしまうことで、それだからこそ、分からない人にはこの感覚は分からないことなんだろう。それでも、夕暮れ時の夕餉前、薄い壁越しに聞く、倍音の減ったピアノの音色は僕に郷愁以上のなにかを思わせるから、クリスマスのリースを、僕は、心から愛でたい。それでも、悲しいくらいに繋がりながら断絶してるのだから。目的を人に託すことはどうしたって切ない話になる。なんでもそうだったな。




ああ、もう絶対卒業しなきゃ。明日は会社のけんしゅーだそうです。ではまたあす。