やるならやらねば

街オタクっていうのはあり得るジャンルなのだろうか。出来得るなら、ちょっとそれを目指したい。トバスコみたいに都バスを自由自在に使いたいし、私鉄だろうが営団だろうが電車網を把握したいし、どこの駅でもうまい店ってのを知ってるようになりたい。そうして、駅ごとの地図が全部有機的に繋がって、巨大で縮尺も自由自在な東京マイ地図を頭のなかでバサリと広げたい。その地図は過去にも行けたりするんだ。東京大の白地図が欲しいなぁ。


明日、明後日とパソコンと一緒に学校行って、どこぞのルノアールで卒論関係のことやらねば。現在はプラモデルで言えば、設計図は見つかったんだけど、バリが取れてない、みたいな状況。ここからバリ取りして、パーツごとに作っていって、そんで全体を組みあげるんだよね。


このところ、漫画を読むのがダルいなとか思ってたんだけど、それはダルいのではなく、怖いのかも知れない。ほとんどの漫画を全肯定のスタンスで面白がることができた自分が、少しずつどこかに消えていっている気がしている。たとえば、下記のように、今日は衿沢の漫画を読んだのだけど、あまりにも振れないし、触れない。これは漫画に文学的な何かを見ていた僕が、文学からも文学的な何かを得ている僕とうまく擦り合ってないって話かも知れないけれど。それは僕の中では吉祥寺的自分の喪失と繋がってくる。あまりに多くのものを吉祥寺に背負わせすぎていたって話だろうか。今、僕の部屋にはシュリンクを取ってすらいない安永知澄の「やさしいからだ」があって、これはなんでかっていったら、多分、この感覚を味わうことが容易に想像できてしまうからだ。ひょっとしたら、これは面白がる以上のことを漫画に期待して、それが得られないことを悲嘆してるってだけかも知れない。だからといって何かが終わったわけじゃあないと思いたい。これを「半径5mマンガ」の衰退なんて言って語ることは、変わる自分を見ていないだけのような気がするってことだ。響かない自分への対処に戸惑っているって話だ。


でも、ボーイズオンザランは最高に面白い。RINも最高。とりあえず、モーニングとスピリッツは読み続けるようにしよう。正味な話、このところのモーニングは売れ行きはともかく、今まで10年以上読んできてる中で一番つまらん。一昨年くらいからゆるやかな下降を続けていて上がり目がない。講談社という巨大システムに完全に組み込まれた感が否めない。驚きと発見を取り戻して欲しい。