おなじあなごむじな

その気が無くてもがっかりさせられることもあれば、何の気なしに喜ばせられることもある。ま、当たり前だな。なんでも出来るなんて思わないけど、少しくらいは力にもなれたのにな。誰かの人生って言ってしまえばそれまでなんだけど、そういうのも少しくらい重なるものなんだしさ。それなら重なった部分くらいは僕が背負ってしまっても、一向にかまわないっていう程度の覚悟なら、いつだって持ってたりするんだけどね。自分に甘いってのは、ほら、こう言っちゃなんだけど、もう僕たちみんなそうなんだから、寄りかかってしまったとしても、こういう結末よりは良かったんだよ。ホント。


今日もうどんと穴子天を食べたよ!スゲー美味いやつ!!根の津。東京来たら寄っといで!根の津はうまい、うまいは根の津。穴子天をオロシヅユにつけながら、梅干し入った焼酎とか飲んでる人になりたい。塩でも可。


まだ僕は若者足り得るのだろうか。そして、現在の若者とは一体、なにを目指せばいいのだろうか。小さくささやかな幸せを求める自分もいるし、大それたことを出来るように思ってる自分も未だに存在している。そんな風に土俵際で足掻いてる。


喜ばしいことなのか、悲しいことなのかわからないけれども、僕の思考も嗜好も(ひょっとすると一部分では志向さえしているのかも知れないが)大人になりつつある。


それじゃあ、大人であることと若者であることは両立し得ないのか。


若者である条件というのは確かに存在する。その要件とはやはり、今でも理想や夢といった単語で表すべきなのだろうね。


体制に反抗するというような気概なんてものは疾うに消えたようにも思える。そして、現在、思春期を迎えている人達の遣り口を解釈したがるという二つの点で、僕にはもはや、ある部分における動力はないのかも知れない。しかし、それは容易に認め難いことであるし、第一、それでは僕はその動力とやらをいかに使ったというんだ。なんにせよ、手遅れな気もするし、まだ間に合うような気もするんだ。君たちはどうだい?