ようこそ

かれこれ5年以上読ませてもらっているサイトがあって、その人に昨日、子供が出来たそうなのだ。僕が、そのサイトを知って、読み始めた頃はまだその人は結婚すらしていなくて、でも、それから今までに結婚をして、今では子供も産まれている。その間、僕は延々と大学生なる身分を続けていたのだというのに。その人の日記では、自分を取り巻く環境やら日常やらがえらく変わったのだろうけれど、それでも淡々と日記は続くし、そのクオリティにもばらつきがないし、なにも劇的なものがないのだから、ほんとスゴい。僕もそんな感じでいつのまにか何かしてたりできるのだろうか。それにしても、なんだろうか、この感じは。人生には粘り気のある時間と猛スピードで環境が変化する時間というものがあるのかな。小学校とも中学高校とも違うこの大学生という時間の流れは、一体なんなのだろう。人生のキノコターボを効かせたいのかな。ショートカットはごめんだけどね。


とにかく、新しい生命が産まれたことはとてもとてもめでたいことで、僕はそんな新しい人のために何かをするのだ。ようこそ。




全然、別の話。今の世の中は本当にコミュニケーション能力が問われているのだと思う。そんで、もっと言えば、それは、あるプロダクトに込められたメッセージを受け取り解釈することってのも含めてのコミュニケーション能力であって、ある年代より上の層(というか、世代的な話なのかライフサイクル的な話なのかは微妙なんだけど)は、そういうプロダクトに込められたメッセージっていうのを受け取る技術が本当に稚拙なんだよ。たまに、女の子でも「私、機械とか弱くて」って言う人がいるけど、それって機械が苦手というより、どこをどうしたらどうなるってこと、つまりはインターフェースなりなんなりのメッセージってのを読み取ることを根本的に放棄してる、言い換えれば作り手とコミュニケートしてないからだよね。あ、これってデザイン言語っていうヤツの話だ!今度、べんきょうしてみよう。


さらに、この話をぶっとばして飛躍させれば、データやら事象やらから何かを読み取るということも、僕にはある種のコミュニケーションな気がするのですよ。すべてのものがメッセージを発しているなら、全て受信したいアンテナ。