えぴろご

オッケー、今日はとても長い長い文章が書きたくて仕方がない。それでいて多分、なんの役にも立たないようなヤツを。溜め息の代わりのような文章を、だ。そんなだから、もう間違える。間違えまくる。事実も感情も立ち位置も状況も現状も表情も想像も肯定も音楽も思考も空白も全部、間違えまくる。そう、それはもう始まっているというわけだ。それでもう終わってる。気付いた時には終わっている。思いついた文章はすべて自分の頭で考えたように見せかけて、直前の、全体の、文章、リズム、そんなのに引き摺られまくっているのだから、何が書きたかったなんて決してわからないんだ。


自分以外の誰かを、知っているとか知らないとか、分かってるとか分かってないとか、変わったとか変わってないとか、そんなことを思えるなんて傲慢で無知蒙昧で恐れ知らずで蛮勇としか言いようがない。人が人について知れるのは全て過去のデータでしかないのに、それでもなんだってあんな気持ちになってしまうんですか。そういうときに限って目に見えないものが見えないままに色付きの感触で感じられたりする気がする。まぁ、そういうのは別にいいんだ。別にそんなことはあれだ。幻想。知ってる。知ってる上で言ってる。勘違い。分かってる。分かってる上で語ってる。何もかも変わる。終わる。消える。全部、了解済みで書いてる。


気分ってのがある。気分ってのはシーソーみたいなもので、そこに良いこととか悪いこととかボトボト落ちて来て、しかも落下慣性とか付きで、で、時限装置付きで消えてったりするんだけど、たまに何が落ちて来たのかわかんないけど落ちて来てたりすることがある。大抵の良いことの方は時計の針が早いらしくて、ぱーっとわりかし早めに薄れていってしまう。大概、悪いことのほうが長く残る。ってか、悪いことのほうの皿には「未来枠」みたいなのがあって、要するに「不安」ってのもこっちに乗るからだ。で、不安くんは、こればっかりは気の持ちようなんて生半可なことは通用しなくて、起こってからどうこうするしかないのです。ああ、不安くんはやっかいだ。対抗してくれるはずの期待くんは羽毛のように軽い。大体からして、悪いことが起きると思って良い結果が出た方が、良いことが起きると思って悪いことが起きるようにマシだし。なんだこれは。ゲーム理論か?ってことは不安くんってのは車で言えばエアーバッグみたいな役目を果たしているっていうんだろうか。いやいや、そんなのは認めたいものではないな。


今日は寒かった。すごい寒かった。おまけに足が、気分が怠かった。そんなんだからこうなった。こうなったからそうなった。


ゲーム理論を考えたヤツは稀代の詐欺師だ。だからロケットなんか発明出来るんだ。フォン・ノイマン。お前のことだ。船乗りは人間すらパーツに考えられなければならぬのか?それなら僕も、船乗りになりたい。


みんないそがしい。そういえば、僕が自分以外の人間が自分と同じように生きていると発見、そう、まさしく発見したのはいつのことだったろうか。それでも、みんないそがしい。


人生のパレート最適を探していたのか?ノイマン


すべてが愛想笑いだったというわけではなかったとしても、その笑いのうち半分が、いや、2割でいい、2割が愛想笑いだったとしただけでも、想像以上に僕は笑えなくなるかもね。笑いは人生の潤滑油。笑いは麻薬。笑いは仮面。笑いは鎧。


それでも、僕は表情と語調と反応以外にその色付きの感触を感じる方法を持たないんだから、手探りで探るしかないんだから。頼むから、一枚捲れば、引っかかりの無いほどのツルツルの表面だったなんてのは勘弁してくれよ。まだ、本当はイガイガだらけってほうが良いんだから。


いやぁ、まいったまいった。降参降参。人間が合理的だとしても判断基準がわかんねえ。人生はゲームじゃねえよ。タイトーさんよ。


必要とは言わない。そうあって欲しいとも思わない。でもさ、替えの効かないパーツくらいにはなりたいよね。プラモデルのあの嵌めあわせる突起の一つくらいには。


光と音と匂いと感触と、あと何だっけ。そういうの足したり引いたりすればなんとかなったりするの?こういうのが、脳内のなんかの物質で補えるっていうなら、僕はもうそういうのドバドバ使おうって妄想。ウソはバレなきゃ良いって言ってるヤツは、マトリックスみたいな世界でずっと夢見てればいいってことか。ここ、全文削除で。トルツメトルツメ。


あのね。口に出せば楽ってわけじゃないよ。飲み込んでケツの穴から出すってのも良いのかも知れないとか思うんだ。まぁ、消化できればって話だけどさ。


別になんも文句無い。ただ、甘いなって。甘い。甘いの。もうあらゆる意味で甘い。あーあ。ばーかばーか。


あからさまなからだがたまならば、なかなかあたまからはややなまなかかな。


あー、ちょっと気が済んだわ。澄んだわ。ばいならー。